ある教育委員会の判断
2009年4月14日更新
先日の新聞に、こんなニュースが載っていました。
奈良県のある町の教育委員会が、車椅子の生徒の中学校への入学を拒否したと言うものです。
それまで小学校では介助者がついた上で普通に通学していたと言うのに、中学校では資金不足の為、受け入れられないと拒否されたと言います。
社会生活を理解するのにこんなにすばらしい機会は無い筈なのに、それを教育委員会が拒否したと言うのにゾッとします。
彼らは、車椅子の生徒の学習の権利だけではなく、その周りの生徒たちの社会学習の機会を奪ったと言えます。
僕は、高校受験に落ちこぼれ、通信制の高校に通いました。
多くの年上の人たちとともに学んだお蔭で、世代の異なる、人生の先輩方のいろいろな話を聞く機会を得る事ができました。
おかげで僕の世代には珍しく年配者の友人をたくさん持つ事が出来たと思います。
同窓の生徒には、生まれて間もない幼い子供さんを学校に連れて来ているお母さんがいたり、80代のおじいちゃんがいたり、車椅子生活を余儀なくされている身障者の人もいました。
ですから学校生活の中で、休み時間にはみんなで子供たちの相手をしたりしましたし、車椅子の生徒さんの教室移動には、ごく自然に周りのみんなで協力して車椅子ごと階段を持ち上げたりしていました。
授業もかなり自由な雰囲気が強くて、バカバカしい校則もありませんでした。
実際に働いている人がいるので、授業の際に先生が間違った事を教えると、生徒の方から「私が働いている先で聞いている事と違うんですが・・・」と質問がきます。
「迂闊な事が言えないんだよねぇ。」と先生も逆に生徒から学ぶ事が多いと話していました。
80代のおじいちゃんはとても元気で、「勉強できるのが楽しくてしょうがない。」といつも話していました。
ただ記憶力の方はどうにもならないらしく、「英語での、ABC覚えて、次DEF覚えたら、ABCを忘れている・・・。」と言っていましたが、それでも数年後にはローマ字を読めるまでになったそうです。
70代の顧問の先生でさえ、「80代のあの人があんなに元気に運動しているのだから・・・」と朝のラジオ体操に加わり体操する姿がありました。
ある時、「おまえ働いていなくて暇だろうから・・・」と生徒会長をなかば強引に引き受けさせられました。
(うちの学校の場合、僕のいた協力校はたかだか全学年で数十人でしたから級長程度の役目でした・・・)
電話連絡にしても、手紙での連絡にしても、年上の人に失礼の無い話し方、書き方を覚えなければなりませんでしたし、目上の人への接し方が判らず大変でしたが、なんとか無事に大役を果たせたと思っています。
これは大きな自信になりました。
実際社会に出ても、この貴重な経験のおかげで人付き合いに困る事もあまりありませんでした。
今の若者は他人に対して無関心だといいますが、何も無い無菌状態の中で育てば、必然的にそうならざるを得ないと思います。
何らかの障害があればこそ、子供たちは考え、ルールを作り、工夫してすばらしい結果を生み出すものです。
子供たちの想像力も、行動力もなくす様な行為が本当に教育と言えるのでしょうか?
何も経験させない事が真の教育者のあるべき姿なのでしょうか?
残念ながら、今の子供たちに想像力も、行動力も無いのは、身勝手な大人たちのご都合主義(自己保身)の結果としか思えません。
自己保身の為に、子供の貴重な体験の機会をつぶす官僚感覚に、本当に腹立たしい気がしたニュースでした。